「線路は続くよ、どこまでも」
「線路は続くよ、どこまでも」
今日は何をしたっけ、と思う日は大体なにもやっていない日なのだ。やらないといけないことは山のようにあるくせにやる気が出ない。そして夜になってめちゃくちゃ冷や汗をかく。なんなら夜中に何回も起きる。そして、もし、いわゆる「やらなければいけないこと」をやり遂げたとしてもなにかしら問題がおこる。しかもその状態が続くと、ああだめだ、私はもうみんなからの信頼を失ってしまった…、待ち受けるものは社会的制裁のみ…みたいな精神になってしまうのでとても厄介なのであった。
コロナ禍といえど、生活は続く。いつも通り課題はでるし論文も前に進めなければいけない。それでも家庭は運営される。一階からはハルモニの叫び声。「あんたら洗濯しいやあ」「朝ごはん食べへんのかあ」「ハンメ、医者行くけど家の鍵しめへんとでるでぇ」ほんでその後小さい声で「ねてるんか…」っていうてるけどハンメ、そこまで聞こえてるで…。八十を超えたばあさんに何回「午前中はズームで授業を受けている」と説明してもわからないのは、仕方がない。今思えば必死に説明しようとした自分がすごく面白く思えてくる。
ある日のことだった。外食も出来ず、友達に会うことも制限され、ストレスがマックスにたまっていたころ。夕方のうちに課題を終わらせたかったものの、アボジからもう家につくという連絡がきたので晩御飯の準備をしなければいけなくなった。いつもなら何も考えず準備にとりかかるのだがこの日はなぜかこの世のすべてのものが許されないくらいにいら立っていた。私はこんなに忙しいのになんで家族の分のご飯を準備せなあかんのん?なんでオンライン授業やのにこんな課題多いのん?なんで論文が前に進まんかっただけで怒られなあかんのん?これも全部コロナのせいや。と、その時アボジが帰ってきた。そして皿に盛られた焼きたての魚を見て「これ、魚の向き逆やで。」と言った。ぽつり、一言。たったそれだけ。ぷちん、と私の中で何かが切れる音がした。「そんなやったらもう晩御飯たべんでいい。もうこれから私準備せえへんし。」怒ってしまった。食卓には焼き魚をパリパリ食べる音だけが鳴り響く。そしてまた父がぽつり。「これから毎日散歩行ったらどうや。」おとん、この沈黙でそれ言うんかい。
気づけばアボジのアドバイス通り線路沿いを散歩している自分がいた。なんで私は今日、魚の向きを間違えたんやろう。なんでアボジに反抗してしまったんやろ。論文が前に進まへんことになんであんなに腹が立ったんやろう。最近腹が立ったことを考えてみた。しばらくたって、見慣れた焦げ茶色の特急電車が音をたててびゅんと走り去った時、私は、はっ、とした。
私は悲劇のヒロインと化していたのだ!
叫びだしたくなった。「馬鹿野郎!!!!!!!」
コロナ渦でも人生は続く。みんな誰かを想って、誰かのために生きているのだ。コロナ禍で一人の時間が増えた。そんな中、私は自分のことしか考えられなくなってしまったようだ。私は頑張っているのに、私はやっているのに。なんて子供じみた考えなのだろう。私は誰かを思って、誰かの為に頑張れたことがあっただろうか。一人じゃ生きていけない社会の中で私はなにを大事にできただろう。
次は準急電車がゆっくり私の横を通り過ぎた。大阪方面へ向かった電車は私の後悔もちっぽけな悩みも全部知らないふりして、ゆっくり持って行ってくれるような気がした。
(辛秀玲 / 外国語学部 日本語学科 4年)
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