特別寄稿「対象に賭ける」

「対象に賭ける」

 『天皇制国家の支配原理』で知られる思想家、藤田省三に「松に聞け」と題された短い評論がある(『戦後精神の経験Ⅰ』影書房、一九九六年、所収)。緊張感に満ちた隙のない論理と、そこに込められた思いの強さに心が動かされる作品で、折にふれて読み返している。

 この文章で藤田はまず、便利さや快適さといった表面的なものばかり追い求めるようになってしまった、人々の感受性の欠落を示す例として、一九六三年の乗鞍岳自動車道路の「開発」をあげている。いわゆる高度成長の所産として、かつて恐れと敬意をもって仰ぎみられてきた乗鞍岳さえもが、楽しく安全な観光地へと変質したのだ。

 しかし、その道路開発の結果として切り倒された、「ハイマツ」と呼ばれる高山地帯固有の松の木の生態こそ、一時の享楽を求める人間の浅ましいあり方を照らし出すものであったと、藤田は主張する。しかも、厳しく過酷な条件の中で「這う」ように生きるハイマツの特徴を明らかにしたのは、無残にも切り落とされた木を決して無駄にはせず、綿密な調査と観察をおこなった、2人の研究者の努力の結果だった。

 ハイマツの実態を認識のレベルにまで高めたものは、人間の自己中心的な開発がもたらした「破壊」という危機の最中にあって、その犠牲をつぶさに見取るという、数少ない人の丹念な行為に他ならなかった。

 このような行為に藤田は、人間性が損なわれつつある現在の危機的状況からの再生への筋道を見出していく。「開発」によって破壊され消えていく自然や生物は、どのようにして生きてきたのか、またなぜ不要なものとして捨て去られなければならなかったのか。失われていくものへの愛情を抱き様々な角度から検証することこそが、欲望を充足させようとし続ける人間のありようを見つめなおす行為となる、と言うのだ。

 藤田は、「此の土壇場の危機の時代においては犠牲への鎮魂歌は自らの耳に快適な歌としてではなく精魂込めた『他者の認識』として現れなければならない」とも述べている。自分の思いなり考えなりをある対象=「他者」に賭け、「認識」へと高めていく、そのような分析・検証のあり方を紹介するとともに、この文章を書くことを通じて、藤田自身もその行為を実践しているように思えるのだ。

 研究や批評に限らず、どんな仕事であっても、ある対象と関わることになるだろう。その際、自分自身のあり方を賭け、それを刷新していけるような関わり――本当の意味で「松に聞く」ことができているか――をしていかなければならないと、この文章を読むたびに思わされるのである。

(高和政 / 日本語学科非常勤講師)


이로하(いろは)文集-朝鮮大学校外国語学部日本語学科-

「이로하(いろは)文集」は、朝鮮大学校外国語学部日本語学科が主宰する、朝鮮大学生による日本語創作文集です。今学年度よりブログ形式で発表することになりました。コロナ禍に見舞われた2020年度のお題は「かける」。それぞれの、さまざまな「かける」について、思いを綴ってみました。

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