「人生」
「人生」
書く気にならないのはなぜだろうか。この前みたいに良いものが書けそうにない。
私は何を伝えたいのだろう。誰に何を伝えたいのだろう。そんなことを考えるのも面倒くさい。
各々が各々で頑張るだけだ。誰かに何かを伝えたくなれば、そのときは頑張って伝えればいいし、そんな気にならないのであれば、別に無理して何かを主張する必要はない。
「人生大変だなあ」とつくづく思う。youtuberのチャンネルを見れば、毎日アホなこと(いい意味で)をやっているが、それも並大抵の努力ではできないと思う。彼らは特に代わり映えのしない日々を過ごす自身が映った動画を四六時中編集し、人々に届ける。あたかも画面越しのリスナーひとりひとりに話しかけるように、喋り、笑い、ツッコみ、励ます。
その姿がやけに響いてくるのは、なぜだろうか。人が喋っているだけなのに。
こういうものを一言で「娯楽」や「エンタメ」と片付けてしまう大人がいる。そんな人は自分が一番高尚なことをしているとでも自負しているのだろうか。まあ、別にどうでもいいが。
何度考えても、生きるというのは難しいことだと思う。
自分がわからなくなる。不意に先が見えなくなる。「絶望」で起きられない朝がある。「不安」で眠れない夜がある。
だが、それでも生きていかなくちゃならない。
人生とは何なのだろうか、と哲学的なことを考える。気分は哲学でもなんでもない。ソクラテスなどという名前を聞いても、「誰だよ」とか思ってしまう。イライラしている。流したくもない涙がとめどなく流れる。涙は「弱さ」の象徴だから、自分は弱いのだろうか、とまた嫌になる。
人生が憎い。今の自分は、人生を憎いものだと思ってしまっている。
「自分の今やるべき課題に着手しろ!」と上の人に言われても、正直そういう気になれない。心理学本の読書に着手してしまう。こういうことを言うと、怒られるのだろう。怒られそうだ。今にも声が聞こえる。わけわからんこと言うな、と。
それでも前を向いて歩きたい。人生を好きになりたい。
自暴自棄になったら終わりだと思う。思える。思えてよかったと思う。
今日もルームランナーで歌いながら歩こう。好きな本を読もう。豆乳ラテを飲もう。バナナヨーグルトを食べよう。明日も頑張って早起きしよう。
人生とは何なのだろうか。たぶん、何でもない。人は皆最後には死ぬのだから。
それでも生きる。生きるしかない。頑張って生きるしかない。私は今、ありがちな話をしている。ありきたりな綺麗事のように聞こえるかもしれない。それでも私はこれしか書けない。生きるのはつらいが、生きるしかない。
(崔悠玉 / 外国語学部日本語学科4年)
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