「うさぎと赤ちゃん」
「うさぎと赤ちゃん」
2020年12月中旬、最愛のペットのうさぎ、モコが死んだ。享年7歳8か月。元々病気がちだったのが、亡くなる前日、様態が急変した。食事を一切受け付無くなり、自力で立つことが出来なくなった。呼吸は常に荒く、口からは涎が、お尻からは透明な粘液便が垂れ流し。病院に連れていくも、施しようがないと言われ、私は数時間単位で衰弱していく様を、側で見守ることしか出来なかった。深夜二時、突然苦しそうに藻掻き始めた。鼻呼吸しかしないはずのうさぎが、口を大きくパクパクして、必死に空気を取り込もうとしている姿が余りにも痛々しかった。数十秒後、パタリと動かなくなった。体に耳を当てると、鼓動がどんどん小さく、緩やかになっていくのが聞こえた。そして「トク」というひと際か細い音を最後に、完全に鼓動が止まった。残酷な瞬間だった。死んでしまった。本当に。あんなにもふわふわで、あったかくて、柔らかかったはずなのに、みるみるうちに冷たく、硬くなっていく。涙が止まらなかった。動かなくなったモコの周りに家にいた家族みんな集まり、何度も撫でながら、一緒に過ごした7年間に想いを馳せ、ずっとその体を見つめていた。身内が亡くなる経験が無かった私は、そのとき初めて間近で、大切なものの「死」を感じた。
2021年1月中旬、家に帰ると新生児がいた。二番目の姉の子供だ。その旦那と、一番目の姉夫婦と、兄、母に囲まれてミルクを飲んでいた。私は末っ子で、親戚も自分より年上しかおらず、新生児と接する機会が今まで一度も無かったので、家に赤ちゃんがいる状況に少しびっくりした。
「ふぁすんも抱っこしてみな。」
そっと赤ちゃんを渡された。人生で初めて赤ちゃんを抱いた。思ったより小さくて、あったかい。かわいいけど、人間じゃない生き物にも思えた。ぎこちない抱き方だからか、居心地悪そうにもぞもぞ動いている。うわあ、生きてる。当たり前のことだけど、それがなんだか不思議で、同時に少し怖かった。哺乳瓶を渡されミルクをやってみると、赤ちゃんは哺乳瓶の口に食らいつき、一心不乱にミルクを飲み始めた。これが自分を生かすものだと本能で理解しているようだ。私はこのとき赤ちゃんから、「生」のエネルギーをありありと感じた。こんなにも小さくて、無力で、誰かに守られなければ生きていけない繊細な体なのに、その場にいた誰よりも、生きることに対する強い意志を感じた。間違いなく「生」の象徴だった。こうして、奇しくも私の年末年始は「死」で締めくくられ、「生」から始まった。何か必然的な運命のようなものを感じざるを得ない。命は本当に巡るものなのかもしれない。
2020年、未曽有のコロナウィルス大流行のために沢山の人が命を落とし、大切な人を失った。2021年になった今も変わらずウイルスによる被害は続き、勢いは収まるどころか大きくなり、人々の不安と恐怖は募る一方だ。しかし、そんな中でも生まれる命がある。赤ちゃんの抱いたとき、暗いニュースばかりで落ち込んでいる世の中にも、希望を見出せる気がした。
「死」と「生」の重みと力を、直に感じさせてくれたうさぎと赤ちゃん。その二つ尊い命が、それぞれの場所で安らかに過ごせるように、そっと願いを掛ける。
(孫花純 / 外国語学部日本語学科3年)
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