「圧」
「圧」
「父の名にかけて」という圧を感じさせられることを何度も言われてきた。
言われるたびに嫌気がさしたし、怒りとか呆れとかマイナスの感情が私の中からふつふつと沸いてきて溺れそうだった。
愛想笑いでごまかして、そうじゃない「そうですね。」を吐き捨てる。
その時点でそれ以外にどんなことを言われても、ことばが空気に溶けて鼓膜にまで届かない。
まただ。
ただこれだけが残って対象を軽蔑してしまう自分がいた。
正直、教壇に立つ父を何度も恨んだ。
「おえらいさん」によばれてやたら握手されるし、どこに行っても名前より先に紹介されるのは父の存在。
高校卒業後の進路を友人と話している時にこう言われたことがある。
「お前はもう進路決まってていいよな~。朝大だろ?そこしか選択肢にないだろうし。」
ああ、まただ。
高校三年時の祖国訪問では姉妹校の「おえらいさん」にこう言われた。
「父のあとを継ぎ立派な朝鮮人となり、同胞社会に貢献してください。」
…そうですね。
こんなことを言われるたびに父を恨み、他の子を羨んだ。
生まれた瞬間からどこにもおろせない、やたら目立つ荷物を背負わされているような感覚。
泣きたくなるくらい重い。
誰か代わりに背負ってよ。
朝大に行くことを決心したとき、「やっぱりな」と言われたのが悔しくて悔しくてたまらなかった。
大学にきてからもなんら変わりはなかった。
大学二年の夏、帰省した際地元の友人に
「卒業後したあとどうするの、やっぱ教員?イルクン?」
と、言われたときのあの感情にあたいする言葉を未だに見つけられずにいる。
そしてそれを話していた時の彼のあの顔、あの声のトーンを一生忘れない。
父という存在により、私の人生に本来あるはずの選択肢とか可能性がすべてなくなっていると思っていた。
言われなくてもいい言葉を何度もかけられている気がしていた。
諭されている。の方がしっくりくるかもしれない。
何かを無理やり納得させられているような、いかにもどこかで道を踏み外した人間に道徳とか倫理を叩き込んでいるような。
そのたびに、
この人は今誰と話しているんだろう、私の後ろに誰が見えているんだろう、私に誰を投影しているんだろう。
今目の前にいるのは私なのに。
そう思った。
従順になるのが嫌で、放たれてきた言葉のような人生を生きるのが嫌で、型にはまりたくなくて、量産型の人間になりたくなくて、作品のような私でありたくなかった。
私に何も期待しないでほしい。
ただそれだけだった。
もしも父がふつうサラリーマンだったら。
何度思ったことか。
何粒の涙が頬をつたったことか。
何回ため息をもらしたことか。
…
なぜだろう。
最近、名前より先に紹介される父の存在がどこか誇らしい。
背負っている荷物にも重さを感じない。どこかに置いてきてしまったのかもしれない。
いや、確かに背負っている。重さに慣れてしまったのかもしれない。
違う。
もう、私の一部になっている。
教壇に立つ父の存在も含めすべて私なのだ。
むしろその存在こそが私を私で在らせてくれているのかもしれない。
周囲にかけられる期待とか圧とか、いやでいやでしかたなかった。(私の勝手な思い込みから生じるものだったのかもしれない。)
その期待とか圧とかを人々はプレッシャーと呼ぶのだろう。
でも違う。
今の私にとってそのプレッシャーは、私の中にある可能性であり、応える手段なのである。
他の人にはない、プレッシャーという域の分も含め私はやりたい。いや、やってみせる。
守りたいもの、繋ぎたいものが山ほどある。
期待?圧?プレッシャー?
全部まとめて受け止めてやる、かかってこい。
…
どうかこれを父が読みませんように。
まあ読んでも仕方ない。
読んだ時ように最後にもう一文だけ付け加えておくことにする。
「あなたの娘でよかった。」
(許世蓮 / 外国語学部 日本語学科 4年)
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