寄稿「『書ける』ということ」

「『書ける』ということ」


高2の夏。冷房もうまく効かない支部の3階で、ハギハッキョに来る子どもらを待っていた。

「あにゃしみかー!!」

ハギハッキョの常連らしい男の子が、元気よく入ってきた。それを皮切りに、次々と子どもたちがやってきた。ウリハッキョに通っている子、日本学校に通っている子、日本の幼稚園に通い、今年からウリハッキョに通う子、さまざまな事情で日本学校へ転入するしかなかった子…みな、様々な事情を抱えていた。高校二年生の私らには、深い説明はなかったが、面倒を見るにあたって、一人一人がどれほどウリマルができるのかを説明された。

とりあえず、「全員がウリマルで自己紹介をできるように…」、これが私たちに課されたミッションであった。楽しみながらできるよう、工夫を凝らした。歌やゲームなど、普段よりテンションも音量も何倍も高めて臨んだ。しかし、そうはうまくいかないものである。

勉強の時間、みんなで遊ぶ時間、自由時間、ウリノレの時間、図工の時間など、時間割を作った。勉強の時間には、その子その子に合わせて、ウリマルの練習をしたり、学校の夏休みの宿題をやらせたりと、工夫をしていた。しかし、ここで問題は起こった。

ウリハッキョに通う子が、「宿題忘れたー!」など「もう今日の分終わったー!」などといいながら、遊び始めた。違う子の邪魔もしはじめたので、ひとまず席につかせて、ウリマルをきれいに「書く」練習をしようと、紙を渡し、簡単な単語を言って「書かせた」。すると、「こんなんすぐ終わるわ!こんなん書けるし!」などとふんぞり返る。書き順もめちゃくちゃであった。私らから見ると、まだまだだなぁといった感じであった。

ふと横を見ると、その姿を、ウリマルを初めて習う子らが寂しそうに、悔しそうに見つめていた。そしてまた、自分のプリントを見つめ、もくもくと、名前を「書く」練習をはじめる。それを読む練習をはじめる。自信がなさそうな目で、私らの様子を窺う。胸が張り裂けるようだった。それは、無知の暴力であった。無意識の暴力であった。

ウリマルを「書ける」ということ。それ自体がこんなにも意味を持つものであるとは、思いもしなかったのである。「書けて」も「書けなくて」も、朝鮮人ということには変わりない。朝鮮人という自覚が大切なのであると、なんとなく思っていた私は、「書けない」者の立場を、感覚を、感情を、想像する力を持ち合わせていなかった。なぜ「書けなくなった」のか。なぜ「書こう」としているのか。なぜ「書けなければならない」のか。「書けない」ことへの痛みを想像できなかった。まぎれもない暴力であった…。

時は過ぎ、大学4年、リモートでのオンライン授業が続いた。ウリマルを使う場面がめっぽう減った。もちろん、「書くこと」も減った。そして、いざ、卒論をウリマルで「書こう」としたとき、「書けない」ことに気づいた。

まず、簡単に箇条書きで内容を整理して、メモをする。「書けなかった」。2年前までウリハッキョで国語教師をしていた母が、「あんたちゃんと書きなさい」と指摘をしてきた。文法的にも、というか、綴りの時点で、間違えだらけだった。恥ずかしくてたまらなかった。

「そんなん自分がわかればいいんだわ!」、「今から文章に起こすんだから、そん時間違えんかったらいいんだわ!」と強がって、パソコンを起動した。そして、いざ、「書き」はじめ!といったところで、手が止まった。どのように「書いた」ら、伝わるのか、まったく方法が思いつかなかった。「書けなかった」。

この論文を通して、論証したい問題、主張したい民族の自決権の問題があるのに、ウリマルで表現ができなかった。ウリの自決権に関する論文をウリマルで「書けない」。私も「書けない」者の一人だった。幼いころからウリハッキョに通い、母のためにもと、ウリマルに関することには人一倍精を出してやってきたつもりであった。もちろん、簡単な会話や単語は「書く」ことができる。だが、私も「書けなかった」のだ。一番主張したいことを、ウリマルで「書けなかった」。

思えばあの子も、はじめて会った私に、一番伝えたいことは自分の名前だったのではないか。それが「書けない」。その苦しみが、その痛みが、今になってわかるようだった。なぜ「書けない」のか。なぜ「書けなくなった」のか。これが、在日朝鮮人が抱える、主体性の問題であり、尊厳の問題であり、祖国分断の問題であった。

「書ける」ということはなんだろうか。私たちは「書けている」のだろうか。私は「書けていない」、そう思えて仕方がない。「書ける」ように練習を繰り返しているのだと。その練習を経て、尊厳を取り戻す途中なのだと、そう思えて仕方がない。

卒業を目前に、強く思うことがある。いつか、「書ける」、そんな未来のために。「書けない」ことの痛みや苦しみから、解放される、そんな未来のために。私たちは「書き続けなければ」ならない。「書いて」、「書いて」、「書ける」ようにならなければ。そして、「書ける」喜びを、「書ける」幸せを…。 


(朴允嬉/外国語学部英語科4年)

이로하(いろは)文集-朝鮮大学校外国語学部日本語学科-

「이로하(いろは)文集」は、朝鮮大学校外国語学部日本語学科が主宰する、朝鮮大学生による日本語創作文集です。今学年度よりブログ形式で発表することになりました。コロナ禍に見舞われた2020年度のお題は「かける」。それぞれの、さまざまな「かける」について、思いを綴ってみました。

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